大昔にテレビで見ていたオリンピックのセレモニー(開会式か閉会式か)の中で、車椅子のヨーロッパ系の女性がいた。アナウンサーが名前を言って「アーチェリーの選手です」と紹介したのが記憶に残っている。すでに私はアーチェリーにハマっていた頃だったので、おおすごい、 ぜひ試合が観たいと思いました。
でもマイナー競技だから、ロクにテレビ放送されない。他国の選手なら、なおさら。試合結果ですら、日本人がメダルでも取ればニュースでその映像は出るが、そうでなければスポーツコーナーでチラッとメダルの結果が文字で表示されるだけ。
あれはいつのオリンピックだったか。たぶんバルセロナじゃなかったかなあ? 気にはなったけど、そのまま現在まではっきりしないまま。今さらながらに気になったので、調べてみる。
1992バルセロナと当たりをつけて、まずは手持ちの雑誌アーチェリーをめくってみる。でも記事の中には見当たらない。記事は当然、金メダリストについての話題や、日本チームの競技結果ばかり。まあスポーツ雑誌ですから仕方ない。全選手の記録は掲載されてるけど、なにせ名前も国もわからない。
次はインターネットで。色々検索してみるものの、それらしきものは見当たらない。四半世紀も前だもんなぁ。なんとかバルセロナの開会式の動画は1つだけあったので、延々と流れる入場する各国選手団を眺めて車椅子を探してみるも、見つからない。閉会式だったっけ? さすがに閉会式の動画は無かった。
他に手立てはないかと、あれこれ検索。するとようやく目的人物が判明!
バルセロナじゃなくて1996アトランタだった。たしかに。1992年じゃ、私はまだ弓を手にしてなかったか。イタリアのパオラ・ファンタト選手。さらに調べるとオリンピック出場のパラ・アーチャーは彼女が初めてじゃなかった。
パラリンピックとオリンピックに出場した選手(Wikipedia英文)
表には何人かの選手が出ているが、パラリンピックとオリンピックの出場年を見比べてみる。オリンピックの方が出場年が古い場合は、健常者として参加していたという事だろう。その後、障害を持ちパラリンピックへの参加であろう(それはそれで、すごい事)。
障害を持ちながら、初めてオリンピックに出場した選手は、
ネロリ・フェアホール(Neroli Fairhall)選手、女性、ニュージーランドのアーチャー。
バイク事故により下半身が麻痺、車椅子に。パラ陸上競技を経験の後、アーチェリーに転向。 1984ロサンゼルスオリンピックに参加。
試合結果は、女子47人中、35位。
1167・1190で、2357点。(満点は2880点)
弓具の性能向上により現代では格段に点数が上がっているため、わかりにくいかと思う。矢もアルミ矢だし。
比較としてその時の金メダルの韓国選手は、
1275・1293で、2568点。
この頃のアーチェリー競技は、FITAダブルラウンド。(女子)70・60・50・30mを各36射、計144射がFITAシングルラウンド。これを2日間、連続して行うのがFITAダブルラウンド。288射ですよ!
試合で144射を2日間なんて、とてもじゃないけど私は射てませんわ。FITAダブルなんて国際大会でも出なけりゃ、やらないし。
健常者に比べて、車椅子でリカーブボウを引くというのは体力的に非常に不利だ。弓を引く時、弓の強さを受けて脚は大地を踏ん張っているのだ。下半身の踏ん張りが利かない車椅子というのは、とても大変なことなのだ。
下半身を補うために、強い上半身が必要になり、上半身の筋トレが不可欠。また車椅子からのシュートは健常者よりも発射の高さがずっと低い。的の高さは規定の同じ高さだから、当然、発射角度を高くしなければならない。つまりサイトピンは低くなる。健常者と同じ土俵で戦えるとは言っても、より多くの努力が必要になる。
フェアホールさんは1980・1988・2000年のパラリンピックにも出場、彼女の活躍に大英帝国勲章(MBE)が授与されている。
記録詳細は、
公式レポート オリンピックロサンゼルス 1984年第2巻(英文)
クリックするとビューが開く。201ページからがアーチェリーの記録。
ネットを探すと、彼女の写真も見られる。
次が、私が最初に探していた女性。
パオラ・ファンタト(Paola Fantato)選手、女性、イタリアのアーチャー。
8歳の時にポリオにかかり、車椅子に。1996アトランタオリンピックおよび、パラリンピック出場。
同一年のオリンピックとパラリンピック両方に出場した選手としては史上初。すごい!
このアトランタから試合形式が70mに変更。予選は70mラウンド(72射・満点720点)、その後トーナメントのオリンピックラウンド。
結果は予選306・329で635点、女子64人中、33位。
(予選1位ウクライナの選手は332・341で673点)
残念ながらファンタトさんのトーナメントは1回戦で敗退。
(アトランタ パラリンピックでは個人銅メダル、団体金メダルに輝いている)
詳細記録 公式レポート オリンピックアトランタ 1996第3巻(英文)
1996年あたりなら、彼女の動画がネットのどこかにあるんじゃないかと思ったが、残念ながらオリンピック競技映像は見つからなかった。
わずかに、2004年12月の障害者スポーツ普及イベントのテレビ放送があった(イタリア語)。ファンタトさんの射が見られます。今でも障害者アーチェリーの普及活動をしているのだろう。
上記女性2人のように、障害者でもオリンピックに出場は可能だ。それこそ健常者以上の努力が必要とはなるが。なぜ男性がいないのか? それは男性だから。
FITAダブルラウンドの頃ならば、男性は90mを射たねばならない。まだカーボンアローが普及する前。アルミ矢で90mって、当然高ポンド数の弓が必要になる。
遊びで射るのではなく、試合で点数出そうと思ったら。パラの選手が高ポンドの弓を引いて健常者と勝負するっていうのは、そりゃー厳しいです。オリンピック代表に選出されるまでに競うのはきびしいからでしょう。
その後カーボンアローが普及し、試合形式は70mに変わったが、世界記録もぐんと点数アップし、更新され続けている。女性に比べれば当然男性の方が強い弓を引いている。そんな中でオリンピック出場権を手にするのは、かなり難しい。
それでも『オリンピックに出場したパラの選手がいた』というのは弓への愛情と勝負への貪欲な情熱が感じられて、調べながら、私はとてもうれしく感じた。
自身は平々凡々のアーチャーですが、同じ弓を手にする者として、なんだかワクワクして、とても楽しかった。
そして今年のリオデジャネイロ オリンピック、イランのザハラ・ネマティ(Zahra Nemati)選手(女性アーチャー)がイラン選手団の旗手として起用が決まったそうですね! オリンピックとパラリンピック両方の出場だそうで。おめでとうございます!
・今回、過去の記録を調べるのに有効だったウェブサイト
(ワールド・アーチェリーではメダリストの記録しか無かった)
● LA84財団
1984ロサンゼルスオリンピックの余剰資金から設立された民間の非営利団体。 南カリフォルニアの青少年にスポーツの機会を推進・拡大するため、 スポーツが人々の生活に与える影響についての知識を高める事を目的としている。 世界有数のスポーツのライブラリーがある。
● デジタル図書館コレクション(英文)


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