1964年の東京パラリンピック1

2025/10/28

歴史

(あばうとアーチェリー 2019年1月)
 ご存知の方も多いかと思うが、障害者のスポーツ大会は1948年のロンドンオリンピック開会式と同日に、イギリスのストーク・マンデビル病院で行われたストーク・マンデビル競技大会(アーチェリー競技)が初めとされている。
 その後大会は発展し、1960年ローマで開催された「国際ストーク・マンデビル車椅子競技大会」を、「第1回夏季パラリンピック大会」として定められた。
 実際に「パラリンピック」の名称が使われるようになったのは、1964年の東京大会「第13回ストーク・マンデビル車椅子競技大会」から。パラリンピックという「愛称」は日本で考案されたもの。それが「正式名称」とされるのは1988年ソウル大会から。結構最近なのね。・・・最近じゃないか、30年前だ。でも競技会の歴史を考えると、最近だよね? ね?

 さてNHKのウェブニュースで興味深い記事を読んだ。
「新発見映像が語る!知られざる1964東京パラリンピック」
(現在リンク切れのため、以下のページを新たにリンク:2025年10月)



 障害者への偏見や差別が、今よりもずっと多かった時代。開催5年前に決定のオリンピックと違い、開催前年の1963年5月に決まった東京パラリンピック
 それまでパラスポーツの文化が無かった日本では、急ぎ、選手を育成しなければならなかった。なお当時は車椅子選手のみの大会。(資料文献を読んだところ、パラリンピック終了後、二部として全・身体障害者を対象にした国内大会を開催している)そんな急に選手育成だなんて、なんてムチャな。

 最初に浮かんだ疑問は「パラだから競技距離は短かったのかな?」て事。ふと興味がわいて、今回のタイトル。
 なんせ古い出来事だから、ウェブ上でもなかなか見つからなくて。(書籍も調べようとすると、宇都宮市の図書館全部、システム変更等により12月25日〜1月9日まで休館よ! 行ったら、休館の張り紙が。めずらしく昨年から調べていたのに)
 そこで知った、驚愕の事実! しかも、いっぱい。 今回は、かな〜り長い文章になるけど、ぜひ時代のギャップを楽しんでほしい。
 このページをスマートフォンで読む人、どのくらいいるのかな? 読みづらいだろうからアンカーリンクも付けておく。


1964para-archery
出典:Australian Paralympic Committee,
CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons

 さて、1964年の東京パラリンピック。アーチェリー競技の種目をご覧あれ。

FITAラウンド(個人・団体)
アルビオン ラウンド(個人・団体)
コロンビア ラウンド(個人・団体)
セント・ニコラス ラウンド(個人・団体)

 ね! ご存知の方はいる? FITAラウンドはオールドアーチャーにはお馴染みだけど(若い方には馴染みが薄いでしょうが)、それ以外は聞いた事もない。
 調べてみるとアーチェリー競技の歴史そのもの。現在私たちが知っている以外にも、様々な競技形式があった。





上記ラウンドの、パラリンピックにおける実施期間と競技内容は以下の通り。

・FITAラウンド (現:1440ラウンド)
 男子90m・女子70m 36射
 男子70m・女子60m 36射
 男女とも50m 36射
 男女とも30m 36射
 合計144射、満点は1440点

1960年〜1992年まで実施。
1968年〜1984年まではなんとダブルラウンド、144射を2日間で288射。
1988年はシングルとダブル両方がある。
1992年はおそらく予選がFITAラウンド、その後オリンピックラウンド。
1992年は、手持ちの雑誌『アーチェリー』も見たが、パラリンピックの「パ」の字も無い! 記事ページどころか、競技結果すら掲載されてない! 
 専門誌ですら、これですよ。(そう言えば今までパラリンピックの記事は読んだ事が無かったな。いかにパラ競技が世間に認知されていないかがわかる。専門誌ですら、パラは無視だもん。なんか雑誌『アーチェリー』に腹が立った)

・アルビオン ラウンド Albion round
1964〜1968年まで実施。
 80ヤード(73.1m) 36射
 60ヤード(54.8m) 36射
 50ヤード(45.7m) 36射
 108射、満点1080点。

・コロンビア ラウンド Columbia round
19世紀?に女性のためのラウンドとして考えられた。男女ともに採用。
1960~1968年まで実施。
 50ヤード(45.7m) 24射
 40ヤード(36.5m) 24射
 30ヤード(27.4m) 24射
 72射、満点720点。

・セント・ニコラス ラウンド St. Nicholas round
初心者のためのラウンド。
1960〜1976年まで実施
 40ヤード(36.5m) 48射
 30ヤード(27.4m) 36射
 84射、満点840点。


 記録が古いため、選手のフルネームが不明の場合がある。また下記の参考文献として紹介している日本での「東京パラリンピック大会報告書」と氏名や点数が違う場合もあるが、IPC(国際パラリンピック委員会)の記録を優先。
 日本での大会報告書は、いくつかの間違いが見受けられるため。特に競技名がアーチャリーじゃなくて、アーチェリーだから!! なんでそこ、間違えるの!

男子 FITAラウンド(144射)
1 ディーン・スロー SLAUGH Dean (アメリカ)   986点
2 P.ブレンケン BLANKER P. (オランダ)    963点
3 エリック・ヨハンソン JOHANSSON Eric (スウェーデン) 937点

男子 FITAラウンド団体(3人の個人点の合算だが、記録見つからず)
1  アメリカ(ディーン・スロー、 ジム・メーシス MATHIS Jim、 ジャック・ウイットマン WHITMAN Jack)
2 日本(安藤昇一、 松本毅、 斉藤定一)

男子アルビオン ラウンド(108射)
1 ディーン・スロー SLAUGH Dean (アメリカ)797点
2 P.ブレンケン BLANKER P. (オランダ) 784点
3 シェルファウト SCHELFAUT (ベルギー)762点
4 ジャック・ウィットマン WHITMAN Jack (アメリカ)759点
5 松本毅(日本) 756点

男子 アルビオン ラウンド団体 (3人の個人点を合算)
1 アメリカ  (ディーン・スロー、 ジャック・ウィットマン、 R.ロビンソン ROBINSON R.) 2253点
2 日本(松本毅、 斉藤定一、 安藤徳次) 2192点

男子コロンビア ラウンド(72射)
1 D.コッター KOTTER D. (アメリカ)  586点
2 レイモンド・ロンギ LONGHI Raimondo (イタリア)584点
3 G.パシパンキ PASIPANKI G. (アメリカ) 580点
4 ルセルフ LERCERF (フランス)   566点
5 セガン SEGUIN (フランス)    550点

男子コロンビア ラウンド団体 (3人の個人点を合算)
1 アメリカ  (ディー・コッター KOTTER D.、 G.パンパンキ PASIPANKI G.、 ボブ・ホークス HAWKES Bob) 1706点
2 フランス(ルセルフ、 セガン、 ミュージー MUSY)  1648点

男子 セント・ニコラス ラウンド (84射)
1 G.P. マレース MARAIS G. P. (南アフリカ)  726点
2 R ファウラー FOWLER R. (オーストラリア) 700点
3 ダビド DAVID (フランス)  698点
4 G.ビーンストラ VEENSTRA G. (アメリカ) 696点
5 L.カズンズ COUSENS L. (オーストラリア) 690点

男子セント・ニコラス ラウンド団体 (3人の個人点を合算)
1 フランス(ダビド、 アヌーン ILANOUN、 シュー SCHUH) 2004点
2 オーストラリア (R.ファウラー FOWLER R.、 L.カズンズ COUSENS L.、 J.マーチン MARTIN J.) 1995点

女子FITAラウンド(144射)
1 マーガレット・ハリーマン HARRIMAN Margaret (ローデシア)919点
2 N.セーセン THESEN N. (南アフリカ)  701点
3 R.アービン IRVINE R. (イギリス)    685点

女子アルビオン ラウンド(108射)
1 マーガレット・ハリーマン HARRIMAN Margaret (ローデシア)669点
2 V.フォーダー FORDER V. (イギリス)  545点
3 ダフネ・シーニー CEENEY Daphne (オーストラリア)538点
4 J.ハウ HOWE J. (アメリカ)    505点
5 N.セーセン THESEN N. (南アフリカ) 498点

女子コロンビア ラウンド (72射)
1 B.ローゼンワイグ ROSENZWEIG B. (アメリカ)504点
2 D.レッグウィリス LEGGE-WILLIS D. (イギリス)447点
3 C.テトレー TETLEY C. (イギリス)   440点
4 E.ベッドフォード BEDFORD E. (アメリカ)416点
5 N.ヒップウェル HIPWELL N. (アメリカ) 355点

女子セント・ニコラス ラウンド (84射)
1 I.マーコウィッツ MARINCOWITZ I. (南アフリカ)540点
2 キャロライン・トロクスラークング TROXLER-KUNG Caroline (スイス)534点
3 プレスリプスキー PRESLIPSKI I. (アメリカ)524点
4 E.ベットフォード BEDFORD E. (アメリカ) 520点
5 E.スタンツ STANTS E. (アメリカ)  502点

 団体戦は男子のみで女子はない。そして結果はそれぞれ2位までしかない。つまり2カ国しか参加が無いという事。なぜか? それはまだまだ広がりの少ない障害者スポーツ、同じ種目に3人も選手を出せる国は、そういなかったからと想像できる。

試合進行と得点ゾーン

 なお得点帯について、ウィキペディアの英語版 ターゲットアーチェリー ではFITAラウンド以外のインペリアルラウンドとして、10ゾーンではなく5ゾーン、最高5点までと記載されている。
 が、それでは1964年のパラアーチェリーの得点が合わない! 最高が5点までなら、それぞれの満点が、
 アルビオン 540点
 コロンビア 360点
 セント・ニコラス 420点
という事になる。
 しかし競技結果はその満点よりも高い点数。ありえないよね。

 シングルではなくダブルラウンドなら? と考えもしたが、日程的に無理!
 アーチェリー競技は種目ごとの日程は不明ながら、11月10日〜12日の3日間しかない。そして会場は選手村内・原宿ゲート付近広場(洋弓場)。おそらくは、さして広くもない射場だろう。
 ダブルにするとアルビオン216射、コロンビア144射、セント・ニコラス168射。どれも丸一日が必要な矢数である。
 そして各種目は距離と行射ぎょうしゃ数が違う。アルビオンはFITAと同様に36射ずつだが、コロンビアとセント・ニコラスは24射、48射、36射とバラバラで、試合進行がぜんぜん合わない。別種目を同時に行うことは不可能だ
 また競技結果から、FITA男子とアルビオン男子では1位と2位が同一人物である。とすれば同時に2種目を行ってはいない。
 少なくともFITAラウンドで1日は使う。
 残りがアルビオンで1日。
 コロンビアで半日、残り半日がセント・ニコラス。
 これで合計3日。と想像できる。

 以上の理由により、各種目をダブルラウンドでプレイする時間はない。ゆえに得点帯は10ゾーンだと考える。英字ウィキペディアの記述は間違いか、あるいは過去は10ゾーンでも現在行われる場合は5ゾーンなのかもしれない。
 はたまた1964東京パラでは、
「ラウンドによって最高点が10点と5点に分かれているのはわかりにくいから、すべて10点にする」
という特別ルールがあったのかもしれない。この辺については当時の競技要項が手に入らないので、推察でしかないが。
 さて、みなさんは競技結果をどう思います?

弓具
 ウッドのワンピース・ボウ。現在のハンドルとリムを組み合わせるテイクダウン・ボウはまだ無く、和弓のような1本弓、アルミ矢。プランジャー、スタビライザー、無し! それで男子は90m飛ばすんだ!
 クリッカーは存在していた(現在の金属製ではなくプラ板だったそう)らしいが、写真では確認できず。

競技時間
 マッチ戦は別として、
2025年現在は1エンド6射3分(3射1分30秒)、
その前は6射4分(3射2分)だった。
私がアーチェリーを始めた頃は6射5分(3射2分半)、
さらに遡ると、もっと行射ぎょうしゃ)時間は長かったそうな。身近に半世紀前を知っているアーチャーがいたので尋ねたところ、その頃は1エンド6射6分!
 じっくり狙って射つって感じだったのかな? いいなー、時間長くて。

考 察

 さて、そんな時代のアーチェリー、現状と比べやすいFITAラウンドを考えてみよう。
 車椅子でプレイして、男子の金メダルはアメリカ選手の986点!(平均6.84点)当時の弓具を考えると、すごいと思う。最長の90mを含むFITAラウンド出場を考えるた場合は、結構なポンド数も必要でしょう。
 その環境を考えるに、日本の選手達はすごいなあと。短期間の選手育成でFITAラウンドにも出場してるからね。すでに障害者スポーツの環境が整っている海外の選手達と、競ったわけ。
 あなたがアーチャーであるのなら、下半身の使えない車椅子で弓を引く難しさが想像できるだろう。あるいは実際に椅子に座って引いてみた人もいるかもしれない。きついよね、踏ん張れる脚が使えないっていうのは。私も試しにやってみた事があるが、むちゃくちゃ、つらい。
 すでにアーチャーでも椅子で引くのはきついのに、経験の無かった人がパラリンピック出場を要請されて、そこから練習を始めるわけだから。
 参加された日本選手の方々、ほんとうにすごいと思う。たとえ大会自体の参加選手が少ないとはいえ、それはすばらしい事じゃないですか!
 
 ちなみに当時のオリンピックとの点差を考えると・・・比べる記録がない。
 1964東京オリンピックにアーチェリー競技はない。1924年パリ〜1968年メキシコシティまでオリンピック種目から外れているのだ。(各国により競技規則が大きく異なる、国際競争のための規則を標準化するために組織化して、1972年ミュンヘン/西ドイツより再開)
 じゃあなぜパラリンピックではアーチェリーはあったのか? そりゃー、冒頭にあるようにパラ競技の最初がアーチェリーなんですから、それを削るわけにはいかないでしょう!

 で比較として1963年の世界選手権を見てみると、男子優勝はアメリカ選手、Wラウンドで2332点。半分をシングル分とすれば1166点(平均8.09点)。その差、180点。

1963ヘルシンキ アーチェリー世界選手権(2年に1回なので1964年は無い)

 2019年のワールドレコードを見ると、1440ラウンド男子は1391点、パラ男子は1296点。その差は95点。パラ競技の普及と、弓具の進化とでずいぶん差が縮まってる。
 半世紀の長い時間を思いながら、あれこれ資料読んだり、想像して、ちょっとした時間旅行を味わえた。

その他の参考文献

 昭和40(1965年)年に発行された物。影に隠れた、舞台裏のスタッフ、競技役員から通訳、広報役員、救護班の医師・看護婦、運転手の氏名も記載されて いて、一大イベントの準備から開催までを詳細に報告している。
 アーチェリー競技団体役員では小沼英治さん(アサヒ弓具の初代社長)のお名前も。でもなぜか 「アーチャリー協会」になってるよ。
 ウェブ上ではこのトップページへのリンクしかなく、冒頭の目次からのリンクでNo.2以降も読めるが、分かりにくいので各ページを以下にリンクしておく。






こちらも同様に、No.2以降のページもリンクしておく。








その他のラウンド

 1964パラリンピックでの採用はないが、せっかく調べたので記しておく。こんなラウンドもあった。この他にも色々あるみたい。

・ヨーク ラウンド
100ヤード(91.4m) 72射
80ヤード(73.1m) 48射
60ヤード(54.8m) 24射
144射、満点1440点。
おそらく一番歴史の古い競技形式。19世紀半ば。ターゲットは4フィート(121.9cm、つまり今の122cm的って事か! ここからきてんのね!)。

・アメリカン ラウンド
60ヤード(54.8m) 30射
50ヤード(45.7m) 30射
40ヤード(36.5m) 30射
90射、満点900点。
19世紀後半。

・ポトマック ラウンド
80ヤード(73.1m) 24射
70ヤード(64.0m) 24射
60ヤード(54.8m) 24射
72射、満点720点。
1888年?、長距離と短距離の間として導入。

・ナショナル ラウンド
60ヤード(54.8m) 48射
50ヤード(45.7m) 24射
72射、満点720点。
1881年、ブルックリン「レディース チャンピオンシップ コンテスト」で採用された。
コロンビアラウンドは、ショートレンジ チャンピオンシップのために残る。

・オハイオ ラウンド
60ヤード(54.8m) 96射
96射、960点。
1880年、紳士のための団体ラウンド。

1970年までにアーチェリー競技はFITAラウンドに変わる。

 さて話が長くなったので次回に続く。
 1964東京パラリンピックのアーチェリーの謎は、まだある!

はじめに

3度目の場所は、ここ

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